Diary R158

雑記ブログです

他人からのアドバイスを素直に聞けない理由と解決方法

趣味でテニスをやっているが、まれに練習相手の方からアドバイスを受けることがある。「リターンのときのポジションはもっと前のほうがいいよ」みたいな内容だ。

そういったアドバイスを素直に受け取れることはほとんど無く、善意で言ってくれてる(決してマウントを取っているわけではない)場合でも難しい。

それがなぜかと問われると、自分のこだわりを持ってそのポジションでリターンをしているからだ。
自分なりに考えて、リターンのポジションは少し後ろめがよいと現状の結論を出しているから、それを少し前目のほうがいいと言われても響くことはないのだ。ここで難しいのは、相手の善意に対して自分がどう答えるかだ。もちろん無下にした態度を取ることはないが、自分の考えた過程と結果をつらつらと述べても相手をいい気持にさせることはないだろう。

もう少し話を深堀りしていくと、リターンのポジションを前にしたほうがいいというアドバイスは、ダブルスをやる上では基本的なことで、ポジションを前にしたほうが返球するタイミングが早くなり対戦相手が対応する時間を奪うことができる。こういった利点があるというのはわかっている話なわけだが、ポジションを前にすることでこちら打つ準備時間も短くなるためミスするリスクも増えるというデメリットもある。そういったことを含めて、自分は自分のミスするリスクを減らしたほうが勝機があると考えている。というよりも、ミスが少ないテニスをしたいと自分が考えているというのが素直な感想だ。

ここで論点が分かれるのだが、テニスで試合に勝つもしくは、より強い相手に勝つためにどういったプレーをするべきかという視点と、自分がテニスで楽しいと感じるためにはどういったプレーをするべきかという2つが出てくる。

今回の話でいうと、アドバイスをくれた人は試合で勝つためにどうしたほうがいいかを伝えようとしてくれているが、自分自身はどうすればテニスを楽しめるかに重きを置いている状態である。

そもそもなぜテニスをやっているのか、という目的がずれている状態でアドバイスを受けてしまったことが不幸だと思えばいいのだろうか。この話の問題点は善意のアドバイスに対して、鬱陶しいので黙っておいてくれと思ってしまう自分が少し嫌になることだ。

 

何を話したかったというと、自分の哲学に基づいて出した現状の結論に対して横からごちゃごちゃと言われても、そう簡単に変えるつもりはないのだが、アドバイスを聞き入れない(相手の意見を否定する)行為をすることがストレスになってしまうからなんとかしたいという内容だ。

そんなアドバイスなんて、テキトーに流してしまって気にしなければいいじゃないのと言われてしまえばそれまでであるが、相手のことを気にしてしまう性格であるがゆえに無視できないのである。

そんなことを考えていると、逆の立場で自分が他人にアドバイスする場面を想像したときに、本当によいアドバイスができるのかという疑問が湧いてくる。

アドバイスをする上で大切になってくるのは、その人がどういう目的でその行為をやっているのかというのを知ることではないだろうか。テニスの話であれば、そもそもテニスをやっている目的が何なのかという視点。ある人は試合で勝つため、ある人は運動不足解消のため、ある人は人とのつながりを保つため、ある人はテニスを楽しむため、といった感じで様々あるだろうが、そこの前提がわからないと下手なアドバイスは逆効果になるかもしれない。

ここまで書いてシンプルな結論になってしまうが、アドバイスを求めてきた相手にだけアドバイスすればいいのではないだろうか。需要があるかどうかわからないのに、供給をしてしまうというのはあまり賢明でないのかもしれない。

そんなことを言ってしまうと、困っていそうな人がいても助けを求めてこないのであれば何もしないのが正解となってしまう。正直そこまでドライになるのも寂しいと思うが。。。

一つ解決方法として、アドバイスなんて受け付けないぜ!っていう自信に満ち溢れた態度を示せばいいのではないだろうか。そうすれば向こうからアドバイスしてくることはないだろう。

気分の低下を軽減するためにブログを書いてはどうか?

ここ1週間ほど電験2種という資格の勉強していて気づいたことがあり、ブログを書くことにしてみました。
以前にもブログを書いていたことがあり、現在でも個人サイトのようなものを持っていますが、なかなか継続というものは難しいもので、どれも中途半端になってしまっています。

資格試験の勉強をしていて気付いたというよりも思い出したことが、半分強制的にアウトプットをすることで頭がスッキリするというか、なんだかやった感が出てきて日々の気分の低下を防止することができるということです。

アウトプットをするにあたってブログである必要性は低いと思いますが、XのようなSNSではなく、さらに自分しか見ることがないクラウドメモサービスでもないブログは、他にないモチベーションが発生するのではないかと期待しています。

いまどきブログをやっている人は減っているはずで、そんな中でブログを始めるというのは自分は他とは違うというような捻くれ者特有の優越感のようなものを感じることができると思っています。

 

こうやって、ここまで文章を書いているだけで、自分が毎日書いている日記とは大違いだということにも気づきます。
ブログは他人が読む可能性があり、下手な文章を書けばコイツ馬鹿だなと思われるかもしれないという、いい意味で怖さがあるので普段あまり使っていない頭を使うことができている感覚があります。

まああまり上手な文章を書くことはできませんが、自分なりに納得感のある文章を書こうとするだけで頭を使うことになります。という文章が下手だという宣言をさせてもらいます。

 

とりあえず最初の記事を書いて、ブログデザインを確認してくて文章を書いているので、以下はデザイン確認用です。

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